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福岡高等裁判所 昭和25年(う)1011号 判決

控訴人 被告人 長尾静夫

弁護人 有富小一

検察官 山本石樹関与

主文

原判決を破棄する。

本件を大分地方裁判所に差戻す。

理由

弁護人有富小一の控訴趣意は末尾添附の控訴趣意書のとおりである。

控訴趣意第一点について、

原判決の認定によれば、被告人は平素飲酒を好み、酩酊すれば常に他人に暴行する悪習癖があるものであるが昭和二十四年七月二十一日トラツクによる材木運搬作業に従事中、右悪習癖を認識しながら他人に対する暴行の未必的故意を以て、同日午後二時三十分頃より午後五時過までの間大分県日田郡小野村字市木権藤寅彦方その他において通常の飲酒量を超過して酒及び燒酎合計五合以上を飲み、且つ凸凹はげしい道路をトラツクで約一時間余揺られたため、同日午後七時過頃同村字新田の瀬戸製材所分工場に帰着した頃は酩酊甚だしく、重篤な意識溷濁を生じて心神喪失の状態に陷つたが、その状態の下で右習癖に基いて、同日午後七時三十分頃同村字新田樋口大三方前道路上外二個所において下坂増造、樋口大三、楢原シメ及び楢原伝江をそれぞれ鍬又は鍬の柄で殴打して同人等に傷害を加え、その内樋口大三をして該傷害に基因する脳半球の圧迫及び脳出血等のため翌二十二日午前八時頃死亡するに至らしめた、というのである。ところで、飲酒酩酊して心神喪失の状況に陷り他人に暴行を加えた場合において、該行為者が平素酩酊すれば他人に暴行を加える習癖があるとしても、単にその習癖を認識しながら過度に飲酒しただけでは、暴行の未必の故意があるというようなことはできない。かような場合に未必の故意があるとするには、飲酒すれば酩酊して或は他人に暴行を加えることがあるかもしれないことを予想しながら、敢てこれを容認して過度に飲酒したことが必要である。しかるに原審検証調書中証人用松岩夫の供述記載、原審証人佐藤清、同坂本静治、同瀬戸安武、同権藤寅彦に対する各尋問調書中同人等の各供述記載、原審第一、二回公判調書中被告人及び証人長尾ハル子の各供述記載によれば、被告人は酒好きで酒癖が悪く、曾て飲酒酩酊して他人に対し二、三回、妻ハル子に対し三、四回、いづれも傷害に至らない程度の暴行を加えたことがあり、被告人も予てかような習癖を自覚していたのであるが、前記暴行当日は被告人が権藤寅彦の依頼で切石を運搬した謝礼として同人より酒の馳走があつたので同僚数名とともに同家で飲酒した後、その飲み残りを仕事場及びトラツクの上で飲み、又雇主の瀬戸安武を迎えに行つた際、たまたま飲酒中の雇主から勧められるまま、更に同僚等とともに飲酒したのであつて、幾分平素の酒量を超えてはいたがいづれも偶然の事情によるものであり、原審の取調べたその他の各証拠を精査しても、被告人が飲酒に際し、或は酩酊して他人に暴行を加えることがあるかもしれないことを予想しながら敢てこれを容認して過度に飲酒したものとは認められない。従つてその間或は過失傷害又は過失傷害致死の罪責を負うべき事情はあるとしても、暴行の未必の故意は認められないにかかわらず、原判決が未必の故意を認定したのは事実の認定を誤つたものというの外はなく、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明であるから原判決は破棄を免れない。

よつてその他の論旨に対する判断を略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条第四百条本文に則つて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 谷本寛 判事 竹下利之右衛門 判事 吉田信孝)

弁護有人富小一の控訴趣意

第一点原審判決は法の適用に誤りがある。原判決は刑法第二百四条第二百五条第一項を断罪の根拠としておる。即ち判決理由一、犯罪事実中「悪習癖を認識し乍ら他人に対する未必的故意を持ち云々(中略)通常の飲酒量を超過し酒及燒酎五合以上を飲み且凸凹はげしい道路をトラツクで約一時間余揺られた為め同日午後七時頃右分工場に帰着した頃は酩酊甚だしく重篤なる意識溷濁を生じ心神喪失状態に陷つたが其の状態の下で右習癖に基いて」とある。

本件は刑法第三十九条第一項に該当する。心神喪失者の行為は之を罰せず。原審法廷に於ての被告人の供述及証人向笠広次の証言、同人の鑑定書に明な通り心神喪失の状況にあつた事は事実である。従而当然無罪の御判決ある可きである。責任能力は犯罪行為の当時に於て存在することを要する。意思活動の瞬間に於て責任能力ないときは其前後に於て責任能力あるも本人の行為を有責たらしむるものではない。尚又責任能力ある時期に於て故意又は過失の行為によつて一時的の責任無能力状勢を惹起し此の状態を利用し犯罪結果を生ぜしめたものでも断じてない。原因自由の挙動と雖も責任能力ある時期に当該挙動に付ての故意過失のない時は責任を負ふ可き刑法の精神ではない。

(イ) 本件飲酒は偶然の出来事で計画性はない。勿論飲酒は本人の自由意思に基くものであるが、明朗なる気分で偶然飲酒したものであつて、本件事案に付ての故意又は過失はない。(証人権藤虎彦、用松岩夫、佐藤清、瀬戸安武の証言)

(ロ) 飲酒と犯行とに因果関係がない。被害者等と何等怨恨情実関係がない。何の為めに私等(下坂増造、楢原シメ、楢原伝江)及私の父(証人樋口誠人)に対し左様な事をしたのか判断がつかないと申してゐる。又被告人の原審にての供述でも明である。

(ハ) 未必的故意ではない。二、三回の習癖を認識していたから本件は未必的故意犯だと判示さるゝも、本件の場合左様是認して解釈さる可き事案でないと信ずる。

(その他控訴趣意は省略する。)

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